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深水光太
CULTURE | 2024.7.19

SELECT by BAYCREW’Sを綴る。#2 せきしろ

Text: Sekishiro / Illustration: Vert / Edit: Emi Fukushima
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「色を見る」

SELECT by BAYCREW’Sには様々な「色」があった。それは私が忘れていたものでもあった。

高校3年の2月に私は上京した。東京に行けば欲しいレコードがすべてある、くらいの理由で東京へ向かった。ファッションにはさほど興味がなかった。

降り立った駅には様々な色の電車がせわしなく行き交っていた。どれがどこへと行く電車なのか、どこが出口なのか、今自分がいるのはいったい何階なのかもわからず、ただ立ちすくむしかなかった。

私は田舎から持ってきたボストンバックを置いて座った。都会の人が次々と目の前を過ぎていった。自分が着ている服とその人たちの服が全く違っていて驚いた。東京には自分が知らない「色」があった。

そもそも東京は季節から違った。こちらは真冬の田舎からドラマ『北の国から』のような装いでやってきたのというのに東京はすでに春めいていたのだ。私が通学でいつも使っていたノーブランドの分厚いブルゾン(裏地が英字新聞柄)が随分と見窄(みすぼ)らしく思えてきて羞恥心は1秒もかからずにマックスとなった。私はノーブランドの分厚いブルゾン(外国を連想させるそれっぽいワッペンがいくつも付けられていた)を慌てて脱いだ。修学旅行で東京に来た時はそんなこと一切思わなかったのは、制服であったことと、そして仲間がいたためであろう。

その日から私は街で見ず知らずの人の服を見るようになった。意図的というより無意識に。それくらい田舎にはなかった色が次々と目の前に現れたのだ。

知らなかった色を見る毎日。その中からかっこ良いと思うもの、かっこ悪いと思うもの、かっこ良いけど自分の好みではないもの、かっこ悪いのが逆にかっこ良くなりそうなもの、流行っているもの、流行っていないもの、流行りそうなものなどを自分なりに分類し、知識を得ていった。いつしか自分のスタイルと好みが明確になった。今思えばセンスというものはこういうことなのかと思う。自分なりの蓄積がセンスなのだ。そこに自分に合う合わないの判断が加わる。などと偉そうなことを言っているが出来上がった私のセンスはかなり歪なものである。しかしそれはほぼ自分の人生であるわけだから特に嫌ではない。

なぜこのような昔のことを書いたかと言えば、SELECT by BAYCREW’Sを訪れた時、上京した時のことを思い出したからだ。まず駅を出てすぐに迷って、別の虎ノ門ヒルズのビルに行ってしまい、いくら探してもSELECT by BAYCREW’Sが見当たらなくてレストランばかりで焦った。これも上京した頃を感じさせたが、そんなことではない。あの時のように「色」が違ったのだ。目の前にSELECT by BAYCREW’Sが現れてそこに広がっている色。それはまたしても知らない色で、私は一気に魅了された。

思えば私は色に引きつけられた記憶は何度もある。初めて12色以上の色鉛筆を見た時。知らない名前の絵の具を見た時。友達の変形学生服の裏地の光沢を見た時。古着屋のTシャツが色分けされてズラリと掛けられている時。そして上京した時。それらを見た時の高揚感がここにはある。同時に最近は見ることを忘れていたことに気づいた。忘れていたというより、怠っていたというのが正解か。私は基本的に誰かと話す事はしたくないので社会との接点は見る事くらいだというのにそこからさえも離れていたのだ。家で寝転がっている時に見える色と、起き上がって赴く居酒屋の色で頭は埋め尽くされていた。時折、中央線と総武線と東西線の色が入ってきた。

とにかくSELECT by BAYCREW’Sは様々な色で溢れていたのだ。まず〈EYETHINK〉にズラリと並んだサングラスの色は、まったく伝わらないたとえだろうが、まるで鉱物図鑑を見ているようだった。それは私にとっては大興奮なことである。私は一気にアップデートされた気がした。久々のアップデートでダウンロードされるファイルが大量にあったようなもので、サポートが打ち切られていなくて良かった。一方、落ち着いた眼鏡が並ぶエリアは博物館のようでもある。こちらは色の少なさが逆に色を際立たせていた。対比がたまらない。

〈Herringbone Footwear〉にも知らない色があった。無機質でどこか未来的な空間に規則的に並べられたスニーカーはそれぞれの色をより主張しているように見えた。スニーカーは好きでよく買っていた。周りも皆買っていたからああだこうだ言い合ったものだが、いつしか誰もいなくなった。それでも自分はいつまでも好きなスニーカーを履くのだろうと漠然と思っている。歳とともに腰や足が悪くなってデザインより身体を考えて買わなければいけなくなってしまったのは誤差の範囲だ。

歪なセンスを構築してしまった私はTシャツが好きになって、Tシャツを異常に買ってしまうようになっていた。家はTシャツで溢れているというのにSELECT by BAYCREW’Sでも気づくとTシャツを探していた。ここでも「色」を意識して買う、と見せかけて、白系のTシャツしか探さない。なぜなら家の猫が白色であり、どう頑張っても白系以外の服では毛が目立ってしまうからだ。これは仕方ない。