なにがアートで、なにがファッションなのか。Martin Parrの写真展『FASHION Faux PARR』潜入レポート。
〈art cruise gallery by Baycrew’s〉で現在開催されているのが、Martin Parr(マーティン・パー)による写真展『FASHION Faux PARR』。イギリスを、いや世界を代表するフォトジャーナリスト/写真家が写し出した“ファッション・フォトグラフィー”のみを抽出した本展は、アートとファッションに潜在する豊かさ、曖昧さと向き合う絶好の機会となりそうだ。
ジャーナリスト目線で“現代”を切り取るファッション・フォトグラフィー。
1952年イギリス生まれ。報道写真家の濱谷浩やドキュメンタリー写真家のPhillip Jones Griffiths(フィリップ・ジョーンズ・グリフィス)も所属する“世界最高の写真家集団”ことMagnum Photos(マグナム・フォト)のメンバーのひとりでもあるMartin Parr(以下、Parr)。同人物はしばしば“ニューカラーの旗手”と評されているとおり、Stephen Shore(スティーブン・ショア)、William Eggleston(ウィリアム・エグルストン)らとともに、モノクローム中心だった芸術写真に新たな価値観を提示してきた存在だ。
この先駆的思想への評価は母国イギリス内だけに留まらない。Parrの作品の多くがMoMA(ニューヨーク近代美術館)をはじめとする、世界中の名だたる美術館に収蔵されていることが何よりの証拠だろう。また、世界屈指のフォトブックコレクターとしても知られており、アートフォトブック分野の専門家として自身のコレクションをもとに本を執筆するなど、独自のスタイルで現代社会を切り取り、媒体を問わずにアーカイブを残し続けている。
〈art cruise gallery by Baycrew’s(以下、art cruise gallery)〉で開催中の本展は、そんなParrが今年発表した写真集『FASHION Faux PARR』から抜粋された全16点の写真作品で会場を構成。現在活躍しているドキュメンタリー・フォトグラファーの中で最も有名なひとりであるParrの作品を大判サイズで隅々まで観察できる、貴重な機会となっている。
Parrにとって、これらは“ただの写真”なのだろうか。
本書に収録されている全ての作品は“ファッション・フォトグラフィー”という共通項を持っている。
ファッショナブルに着飾った華やかなモデルたち。その背景に視線を送ると、ガソリンスタンドや美術館、街角のベンチ、さらにはバスの車中など、一般的な暮らしの場が選ばれていることに気が付く。一見してその場にそぐわない華美な洋服を纏い、日常生活を楽しむ人々。ともすれば違和感、と表現することもできそうだが、そこにネガティブなニュアンスは無い。むしろ「好きな服装で好きな生活をする」という意味において、人々のプリミティブな欲求を可視化しているのではないだろうか、とも思えてくる。
写真という表現活動は、写真それ自体ではなく、写真の中で起こっている物事や現象が主題となることが多い。Parrの作品は一見すると「個性豊かな人々が普通に暮らしている様子」を写したものであり、そこで起こっている物事や現象は決してドラマチックではなく、至ってシンプルで、日常と地続きのように見えるのだ。
また興味深いのが、会場内掲示のステートメントに記載されている、Parr自身による、自身の作品に対してのコメントだ。
“Some shoots resemble documentary, some look more like fashion, they can even look like art.”
(ドキュメンタリーのような撮影もあれば、ファッションのような撮影もあり、それらはアートのように⾒えることさえあります。 ※『Fashion Magazine(出版 Magnum/写真・編 Martin Parr)』序文より一部抜粋)
この言葉から推察するに、Parr本人は「これらの写真はアートである」という意識が希薄なのではないだろうか。Parr自身としては、あくまでもドキュメンタリーベースの視点で撮影した“ただの写真”であって、写真は、Parr自身の考えや想いを伝達する媒体に過ぎないのかもしれない。
改めて考えてみると、アートやファッションという言葉は人によって捉え方が全く異なる、至極抽象的な概念である。皮肉なもので、鑑賞者の価値観や教養に委ねざるをえない側面もある。では、これらはアートなのか、これらはファッションなのか、これらはドキュメンタリーなのか、これらはフェイクなのか。二分化する必要は断じて無いが、鑑賞者たちには向き合い、考え、自分なりに定義する余地が与えられている。
そういった意味で、Parrの一連の作品群を鑑賞することは、自身のアート観やファッション観と向き合う絶好の機会といえるだろう。この見解は、アートやファッションを物質的なものではなく概念として探究し、企画展を通してプレゼンテーションする〈art cruise gallery〉の意向とも合致するはずだ。そもそも本展を、アパレルを生業とするBAYCREW’Sが企画していること自体がユーモラスであり、言葉を選ばずに言うなら、どこか挑発的である。そんなニュアンスを嗅ぎ取ってしまうのは、筆者だけではないはずだ。
「美味しそう」な空間にしたかった。
前回の葛飾北斎『PLAY w/ HOKUSAI』展に引き続き、本展の空間をデザインしたのはクリエイティブディレクター/セノグラファーのおおうちおさむ氏である。〈art cruise gallery〉ならではの自在に移動するL字壁の組み合わせは、前回の迷路のような配置とはガラッと変わり、ギャラリー内を分断して小部屋を設けたかのような構成になっている。おおうち氏曰く「北斎展と同じ資材を使っています。サスティナブルなギャラリーですよね(笑)。決まったパーツでどこまでやれるか、腕試しのようで面白いですよ」。
また、どこか甘味を想起させる、心地よいカラーパレットで塗られた壁面は、Parrがそれのみの写真集を制作するほど関心を持っている、食べ物のスチール写真へのオマージュなのだろうか。テーマについて伺うと「今回は“美味しそう”に作ることが自分の中でのテーマでした(笑)。例の如く、言語化できるロジックには基づいていないんだけれども、疑問が生まれないものっておもしろくない、と個人的に思っていて。鑑賞者にはぜひ『なんでこの色の組み合わせなんだろう?』と考えていただきたいですね」。
『マツモト建築芸術祭』のCandida Höfer(カンディダ・へーファー)、5月12日(日)までの期間で開催中の『KYOTOGRAPHIE』における川田喜久治など、写真展を通しておおうち氏のセノグラフィーを体験できる機会は多い。セノグラファーとして長年にわたり写真と向き合い続けているわけだが、それでも「写真展はいつもすごく難しいんですよね」と話す。ある種のセオリーともいえる、ホワイトキューブに整然と並べる手段に終始しないおおうち氏のセノグラフィーからは、写真家、ひいては写真表現への敬意と愛情を感じ取ることができる。
そのほかにも柔らかな照明や無垢材を用いたミニマムな額装など、おおうち氏の目線で具現されたParrの世界観は、それ自体がインスタレーションと言えそうなほどに作品とマッチしている。Parrのアイロニカルな視点への共感を後押しするのみでなく、Parrの写真の“可笑しさ”がより強調されているのだ。
会場では、写真集『FASHION Faux PARR』の販売もおこなわれる(直筆サイン入りは限定25部)。同書は、Parrのファッション・フォトグラフィーに特化した初の写真集であり、展示作品はもちろんのこと、『Vogue』などのファッション誌に掲載されたエディトリアルの一部、ファッションイベントの舞台裏で捉えたドキュメンタリーフォト、業界のアイコンのポートレートなど、多くの未発表作品を含む250点以上のカラー写真を収録している。その他にも本展を記念して作成されたオリジナルTシャツの販売もおこなわれる。
『FASHION Faux PARR』は、6月16日(日)までの期間で開催中。あらゆる視点からファッション・フォトグラフィーの概念を覆したParrの作品を鑑賞する体験は、ファッションとは何か、アートとは何かを考える唯一無二の機会となるだろう。是非とも足を運んでみていただきたい。