北斎はずっと、大衆に向けてアートを発信していた。〈art cruise gallery〉の初回展示『PLAY w/ HOKUSAI』潜入レポート。
〈SELECT by BAYCREW’S〉にオープンした〈art cruise gallery by Baycrew’s〉は、大衆にとってのアートのあり方に疑問符を投じる、新しい感覚のアートギャラリー。初の展覧会はいったいどのような仕上がりに? じっくりと深掘りしていく。
BAYCREW'Sの「視点」と「経験」が凝縮された場で、アートの可能性を拡張する。
これまで日本の文化をさまざまな角度から牽引してきたBAYCREW'Sならではの経験、それにより培われた視点が強く反映された本スペースは、常に取り留めのない「アート」における、それぞれの楽しみ方の発見の場となることを目指して設立された。こけら落としとなる『PLAY w/ HOKUSAI』で提案するテーマは、浮世絵師・葛飾北斎による『北斎漫画』である。
『The Great Wave』の名で海外でも親しまれている『神奈川沖浪裏』、晩夏から初秋にかけての富士山を情緒たっぷりに描いた『赤富士(正式名称は『凱風快晴』)』など、88年の生涯で実に3万点以上の作品を生み出した葛飾北斎。江戸時代後期に版画のポテンシャルを見出し、当時の印刷技術を世界最高峰に引き上げたそのスタイルは、画家のモネやゴッホをはじめ、19世紀後半にパリから発信されたアートムーヴメント『アール・ヌーヴォー』、近代建築の巨匠であるフランク・ロイド・ライトまでにもインスピレーションを与えた。
古から伝わり、今もなお国内外多くのクリエイターに影響を与え続ける、日本を代表するアーティスト。そんな葛飾北斎が手掛けた名作のひとつ『北斎漫画』にフォーカスする本展は、東洋古美術コレクションの重鎮、浦上蒼穹堂の浦上満氏による、約1700冊ものコレクションから厳選された作品群で構成されている。
ネオン管で飾られた入り口を抜けてまず驚くのは、展示空間に白い壁がひとつもないことだ。本来のホワイトキューブ=白い蛍光灯で均一に照らされる国内ギャラリーのイメージとはまったく異なる、黄色い壁と展示作品のディティールを印刷した壁紙が包むこの空間は、柔らかいオレンジ色のスポットライトもあいまって、歴史ある美術館や博物館を彷彿とさせる。
北斎はずっと、大衆に向けて「アート」を発信していた。
そもそも『北斎漫画』の本来の姿は綴じられた本であり、日本全国に点在していた北斎の弟子らのための“絵の教本”が主たる用途であった。しかし当時より『北斎漫画』は、階級問わず大名から庶民まで、誰でも手に入れることができたため、教材という本来の目的を超越し、現代でいうところのスタイルブックや図鑑、ガイドブック、絵本などとしての役割が見出されることになった。そしてのちに『北斎漫画』は、日本国内のみならず海外にも広まり、それまで誰も知らなかった日本文化の発信源としてもその魅力を発揮し、影響を拡張することとなる。
会場に飾られるのは、そんな『北斎漫画』から厳選された全80作品。丁寧に額装され、アートピースとしてのリスペクトを最大限に感じる仕様で展示されている。版画がコンテンポラリーアートにおいてもメジャーなシルクスクリーン作品に近しいプロセスで作られていることもあってか、200年以上前の作品にも関わらず、不思議とモダンな雰囲気を感じることもできる。
また、制作陣インタビューでも語られているように「冊子として手元でみていたものが額縁に入ることによって、距離をとって鑑賞できる」というポイントも忘れてはいけない。額装された『北斎漫画』と向き合うことで、葛飾北斎はずっと大衆に向けて「アート」を発信していたことが手に取るように理解できるだろう。
整然と並べられた作品群は、小ぶりなサイズに反して目を奪われるような強い存在感を放つ。現代でも実現することが困難といわれている、絶妙なアウトラインを用いて表現されるモチーフは人や動物、架空の生き物から風景、環境まで、まさに森羅万象。生涯にわたって制作を続けることで磨きに磨かれた葛飾北斎の唯一無二のテクニックは、実物を間近でみられるこの機会だからこそ堪能できるのではないだろうか。
空間デザインとアートピースたちの調和が、作品と鑑賞者の時間の距離を縮める。
さらに興味深いのは、空間内に配置されたL字型の展示壁だ。展示空間どこに立っても正面を向けば道がわかれ、来場者は作品をみる順番の選択が強いられる。前述したとおり、壁の色も異なるため、目の前の作品を認識しなければ、恐らく空間を何周もしてしまうことになるだろう。
この展覧会がユニークなだけでなく、どこか新鮮さを纏っている理由は、来場者に鑑賞の楽しみ方を委ねるという意味で、一種の体験を提供している点にある。発案したのは、セノグラファー(空間デザイン)セオリーで展覧会をつくるクリエイティブディレクター・おおうちおさむ氏。同人物はデザイナーベースでありながら、長野県松本市で毎冬開催されている『マツモト建築芸術祭』の総合ディレクターをはじめ、これまでさまざまな展覧会や芸術祭を手掛けてきたキャリアの持ち主だ。
セノグラファー、いわば空間デザインとアートピースとを融合するように展覧会を構築するその方法論は、額装アイデアや展示壁以外にも、さまざまなポイントからその趣旨を汲むことができる。
葛飾北斎の版画という、誰もが知っているようで実のところ誰も知りえない時代に創り上げられた美的価値観を共有することは、これまで国内外さまざまな文化施設が取り組んできた課題でもある。そんななか、決して縮まることのない作品と我々の“時間の距離”を、空間の構築と展示の工夫とを駆使して、現代ならではの価値観へ昇華させようとする気概を、ここ〈art cruise gallery〉では感じとることができる。
『PLAY w/ HOKUSAI』での鑑賞体験は、たとえば同じ葛飾北斎の作品でも、白い壁にドカンと展示された『冨嶽三十六景』の第一版を広い空間でみる感覚とはまったく異なる。つまり、このスペースは、コレクターとディレクターの、作品への"気づき"に由来していると言えるのではないだろうか。そうだとしたら、今を生活する我々が作品を鑑賞、そして解釈するのにもうってつけの場所であるに違いない。
見て、感じて、楽しむことで生まれる、自分だけの特別なアート体験。
ここまで『PLAY w/ HOKUSAI』を体験してきたが、本展覧会は「多様なベクトルから人々のライフスタイルに寄り添い続けてきたBAYCREW'Sだからこそ出来るアプローチ」と言い切ってしまっていいだろう。ターゲットを限定せず、大衆にとっての芸術であった『北斎漫画』にスポットを当てたこの場に、「アート」という言葉に対して感覚的に抱きがちな難解さはない。「アート」に定義はなく、それぞれが見て、感じたものが「アート」である、という本質に気づくことだってできる。
また、本スペースは虎ノ門ヒルズ ステーションタワーという、巨大商業施設内に位置するという点でも、他の美術館やギャラリーとはその存在に一線を画す。欲しい服を買う、美味しい食事を楽しむ、部屋のコーディネートを考える。さまざまな目的で集まって、人やモノとコミュニケーションをとりながら新しいアイデアを見出す場の中にあるアートスペースでの作品鑑賞は、単なる鑑賞を超越した、ここでしか得られない、新たな意味を見出す機会となるだろう。
なお、会場では、本展の開催を記念し、国内ブランド〈DAIRIKU/ダイリク〉によって制作されたスカジャンがリミテッドエディションとして販売されている。メインビジュアルの『奔虎』が繊細な刺繍であしらわれたリバーシブルスカジャンは、北斎作品の伝統的側面と現代のファッションカルチャーとが融合した、ギャラリーグッズの新しいアウトプットである。これもまたBAYCREW'Sらしいアプローチだ。
ここまでレポートしてきた『PLAY w/ HOKUSAI』は、2024年2月29日(木)〜4月21日(日)までの期間で開催中。今後の企画展開もとても気になる〈art cruise gallery〉に、これまでとは一味も二味も異なる美術鑑賞を体験しに訪れてみてはいかがだろうか。