歪な線、鮮やかな音像。対談、五月女哲平 × 堀込高樹(KIRINJI)
〈art cruise gallery by Baycrew’s〉ではアーティスト・五月女哲平による個展『GEO(ジオ)』が8月30日(金)より開催。この展示を紐解くに際し、対談相手に指名したのは、以前に五月女がジャケットのアートワークを手がけたこともある、KIRINJIの堀込高樹。2人が語る、2枚のアートワークの後日譚と、現在進行形の「変化」と「完成」について。
何にも当てはまらない存在を描き留めたい。
ー まずは五月女さんのアートワークが採用されたアルバム『愛をあるだけ、すべて』とシングル『時間がない』の話から聞いていけたらと思っています。
堀込:両作のパッケージ化にあたり、アートディレクターの大島依提亜さんから複数のアイデアをいただき、そのなかに、五月女さんの一連の作品があったんです。ほかにも写真を使ったデザインなど、さまざまなアイデアがあったのですが、大前提、KIRINJIってポップスじゃないですか。そこにポップス然としたジャケットを当てはめても、おそらくあまり面白くはならないだろう、と思ったんでしょうね。
ー 五月女さん目線では、どのようなご経緯で?
五月女:最初は描き下ろしでお話をいただいていたんですが、結果として描き下ろしではなく、個人の作品として描いていたものを使用していただくことになりました。この2枚は大島さんを通して何枚か提案させていただいたうちの一部で、最終的にこれが採用となり、僕個人としては実験的な絵だったので「なるほど、あれを使っていただいたのか」という感じでした。
ー 描き下ろしとしか思えないくらい、ピッタリとアルバムにハマっていますよね。
堀込:『愛をあるだけ、すべて』のアートワークに関しては、最初に見せてもらった際に、これが一番サウンドの感触……色合いというか、そういうものと合致しているな、と感じたんです。落ち着いたトーンで2人の人物らしきものが描かれていて、表情はなく、フォルムも抽象化されている。この2人は異性なのか、同性なのか、親子なのか、友人同士なのかも分からない。そんな2つのものが寄り添っている様子を見た際に、なぜか温かい雰囲気や、愛情のようなものを感じられたというか。
ー アルバムの纏っている空気感にすごく合致しているというか。
堀込:『愛をあるだけ、すべて』は全体的に──五月女さんに絵を提供していただいたシングル『時間がない』という曲に顕著ですが、自分と自分の近しい人との関係性や、自分の限りある人生の中で身近な人たちに何をできるかなどを書いた曲で構成されています。そういったアルバム全体を通したテーマのようなものと、アートワークから想起されるイメージとが合致して、結果、相性が良かったのかなと思います。
五月女:やっぱり、すごくよく見ていただいていますね。嬉しいです。先ほど堀込さんがおっしゃっていたように、この寄り添っている2人には性別や年齢などを設定せず、代入が可能な対象にしたいと思っていたんです。『時間がない』の群像のアートワークもそうですが、女性、男性、子ども、大人、そのどれにも当てはまらない存在を描き留めたいと思っていた時期だったりもして。
ー それが先ほどおっしゃっていた「実験的」な試み?
五月女:そうですね。加えて僕自身、こういう大きな愛── あえて愛、という言い方をしますが、これまでは感情のような、可視化できないものを絵にしたことがなかったんです。それに、人を描くことってすごく特別な行為だと感じています。そうした想いが自身に潜在していることを自覚しながら、自分の目線で人物を描いてみる、という意味で、実験的な試みでした。
人ありきではなく、曲ありき。
ー 今回の対談は五月女さんの個展に際したもので、五月女さんに対談相手のご希望をお聞きしたら、真っ先に堀込さんの名前が挙がりまして。
堀込:そうだったんですね。ありがとうございます。
五月女:いえ、こちらこそありがとうございます。もちろん、以前にお仕事でご一緒させていただいたこともひとつの理由でありつつ、この場を借りて、堀込さんにお聞きしてみたいことがあったんです。KIRINJIは2013年に新しい体制になって、それが10年ほど前ですよね。僕がいま44歳で、当時の堀込さんと同い年くらいなんですが、堀込さんはその頃に作り手としての転換期があって、それから今に至るまで耐えず変化をしながら活動を続けてらっしゃってるじゃないですか。そのことが、とても他人事とは思えなくて。日々、どういうことを考えながら制作をされているのか、お聞きしたいなと思っていました。
堀込:たしかに、ジャケットを描いていただいた『愛をあるだけ、すべて』の頃は特に「変化していかなければ」と強く意識していた時期ですね。
五月女:やっぱり、そうだったんですね。僕は今まさに「変化しなければ」と強く感じていて。今回の展示でも、しばらく使っていなかったキャンバスで作品を作っていて、そのほかにもさまざまな新しいことを試しています。堀込さんは、意図的に、意識的に自分自身を更新しているんだろうなと、リスナーながらいつも感じていました。でも、一筋縄で変わってる感じがしないんです。『愛をあるだけ、すべて』の頃、KIRINJIはどういうモードだったんですか?
堀込:「変化しなければ」と思いつつも、結局のところ、自分から出てくるメロディやハーモニーはそう大きくは変えられないから、そのなかで変えられるところで言うと“聴き心地”の部分ですよね。“テクスチャー”や“音像”と表現することがありますが、要はミックスの部分。低音域と高音域のバランスですね。体制が新しくなって、兄弟の頃のキリンジとは異なるものを提示していかないと、ずっと変わり映えしないだけなのに「なんだかエバーグリーンで良いですね」と言われて終わっていく感じがしたんです。それだとあんまりじゃないですか(笑)。そこで思い切って、バンドという形態はそのままに、サウンド的には“バンドっぽくない”テクスチャーを目指したのが『愛をあるだけ、すべて』の頃ですね。
五月女:なるほど。そうだったんですね。
堀込:感覚的な部分ですけどね。大きな変化を求めて、一緒にやったことがないエンジニアさんたちと組み始めたタイミングでした。音像は、すごく意識的に変えていったところです。あとは、バンド編成でやっていくということは、自分がメインヴォーカルをとることになる。フロントマンっぽい振る舞いにはいまだに慣れないですが(笑)、やっていくうちにだんだん、歌がちょっとずつ上手になってくるんですよね。それに応じて、作る曲も変わってきました。44歳から環境が変わって、やらなきゃいけないことが増えて、ミュージシャンとしての力が身に付いてきて、それが作品に反映される、みたいな流れを、今まさに感じています。
五月女:誤解を恐れずに言いますが、KIRINJIは、フロントマンが何か大きなものを担わなきゃいけない、という、いわゆるバンド的な印象があまりないんですよね。KIRINJIという屋号がすごくいい意味で、ポジティブに自立しているというか。常に何かがうごめいていて、いろんな人が関わっている。一応、これをKIRINJIと名付けておく、みたいな、ある種の軽やかさを感じるんです。すごく拓かれていて魅力的だな、といつも思っています。
堀込:多分それは、曲を中心に据えているからだと思いますよ。曲を書くときに「俺の考えはこうだ!」とか「俺のクリエイティビティを見よ!」みたいなことは考えずに「この曲に1番ふさわしい人は誰か」を考えるようにしています。曲のタネができると「誰がこの曲を歌ったら一番良くなるだろうか?」とヴォーカルについて考えることになるわけですが、僕が“堀込高樹”で活動をしていたら、自分で歌わないとちょっと違和感があるじゃないですか。でも、KIRINJIって名前にしておけば、ゲストヴォーカルを呼んで歌ってもらっても良いし、フィーチャリングで誰かを呼んで一緒に歌っても良い。人ありきではなくて、まず曲ありきなんですよね。
五月女:それは、ご兄弟でやられてるときから持っている考え方なんですか? 当時からある種、中心から少し距離をとった視点があったのかな、と。
堀込:うん、そうかもしれないですね。
五月女:ボーカルとしての堀込さんは、交換可能な存在であると。
堀込:僕は、交換可能ですね。泰行はそうではなくて、彼は自分で曲を書いて自分で歌う、いわば正統派なシンガーソングライターなのかもしれません。僕は歌いもするけど、 人にも歌ってもらうよって感じかな。だから、根本的なスタイルが違う気がします。こんな感じで、よく17年も続けられたなと思いますけど(笑)。
作業としての「完成」、概念としての「完成」。
ー 話は変わりますが、KIRINJIのお仕事以来、五月女さんのお仕事を見る機会が増えたように感じています。
五月女:おっしゃるとおりで、KIRINJIのお仕事以来、いわゆる展覧会のように絵そのものを見ていただく機会ではなく、絵そのものではない媒体── 本の装丁やCDのジャケットを通して、作品を見ていただく機会がすごく増えたんです。KIRINJIのジャケットはかなりプリミティブな方法で、原画そのままのような見え方にしていただいたんですが、世に出るときって、ネガティブな意味ではなく、けっこう手を加えられるんですよね。
ー 五月女さんの絵は特に汎用性が高そうというか。あと、印刷のときにすごく色が出づらそうです。
五月女:そうなんですよ。デジタルの画面上で見ると、単色同士の組み合わせでフラットに描かれたグラフィカルな絵画、と思われがちですが、マスキングテープなどを使わずに線を引いているので、よく見ると線が歪んでいたり、揺れていたりする。身体性を与えることで、作品に有機的な要素を取り入れているんです。テクスチャーの部分もかなり念入りに作り込んでいたりして、そういう詳細な部分が画面だとどうしても伝わりづらいんです。実物を見ていただけるとよく分かるんですけどね。ただ、いろんなお仕事をさせていただくなかで、だんだんとそれをポジティブに捉えられるようになってきて。
ー それはどういった理由で?
五月女:自分以外の人が自分の作品に手を加えることで、作品のイメージが増幅したり、別の可能性みたいなものが芽生えていくのが、すごく面白いなと感じるようになったんです。カラーで描いたものが白黒になったり、すごく大胆にトリミングしたり。自分の発想には無いアウトプットを見ると、他意はなく「へえ、そうするのか」と思うんです。
ー なるほど。ちなみに、音楽でも、そのようなことはあるんですか?
堀込:五月女さんがおっしゃられた話に近いですが、僕も、すべてのプロセスを自分でコントロールしてるわけではないので、アウトプットされたものを聴いて「へえ、こうなるのか」と感じることはありますよ。自分の作品ではあるけれど、結局、 曲を作って、アレンジを決めたら、それを演奏するミュージシャンを呼ぶことになるじゃないですか。そうすると、もうそこで彼らの意思が入ってきて、それから録音やミックスの段階になると、エンジニアの意思が入ってきて。
ー ああ、たしかに。音楽は特に、いろんなエキスパートが関わりますよね。
堀込:そうなんです。僕としては「こういうふうにやりたいんだけど」と伝えても、演奏するミュージシャンから「こっちの方が良くないですか?」と提案をいただくことも多々あります。そうやって試行錯誤してミックスを終えると、次はマスタリングエンジニアに「ここちょっとダブついてるんでカットしましょうか」と提案をされたりするんですよ(笑)。結果、初めに思い描いていたものと異なるものに仕上がることになるんですが、それでも毎回「良い仕上がりになったな」と思えるんですよね。自分の意思を余すことなく反映したものが最善になるとは限らないんだなと。でもそうなると、もう自分が完成させたのか、人が完成させたのか、よく分からなくなってきますね。
ー 何をもって“完成”とするか、という話にもなりますよね。
堀込:いろんな人が関わって、まず、モノとして完成して、それを聴いた人が何かを感じて、はじめて完成するのかもしれないですね。
五月女:創作全般、他者がいて初めて成立するものだと僕も思います。自分のためだけに創作する人もいますが、僕は人に見てもらうことを強く意識しているので、完成の拠り所は、堀込さんがおっしゃっているように、自分ではなく他者に置いています。ある種、作品の内容自体にも関わってくる部分かなと思います。
ー 概念としての完成があり、その手前にある作業としての完成についてはいかがですか?
堀込:それでいうと、ミックスが終わって、マスタリングが終わったタイミングが、作業としての完成ですかね。ある時点からは──聞こえ方が良くないかもしれないですけど、完成させるためのプロセスを踏むことになります。でも、そのずっと手前の曲の骨格が整ったときの「ああ、できた」って瞬間が、一番気持ちが上がりますね。
五月女:分かる気がします。
堀込:これはあの人に頼んで、これはあの人に頼もう、みたいな段階になってからは、わりと楽しい作業なんですよね。でも、そこに至る前はすごく苦しい。その苦しい山を越えた瞬間が── 厳密には完成ではないんだけど、大きな山を超えたな、と感じる瞬間ですね。
五月女:僕はその段階になると、人に任せたくなっちゃいます。絵を描く人って、描くこと自体が好きな人も多いんですが、僕はどちらかというと、描くことへの執着心のようなものは薄くて。いろいろと試行錯誤したのちに完成形のイメージが浮かんできて、そこに辿り着くまでのルートが見えてくると、途端に「あとは誰かが代わりにやってくれたらいいな」と邪念が入り込んでくるんですよね(笑)。自分でやるのが一番良い、と頭では分かっているんですけどね。
堀込:意外とそこがクリエイティビティの見せどころだったりしますもんね。
五月女:そうなんですよ! やり始めるとやっぱり、自分じゃないと決めきれないことがどんどん出てきたりして。
堀込:代わりにやってほしいとは思うんだけど、絶対に「いやそこはそうじゃなくて、こうです」とか、いちいち口出ししたくなっちゃうだろうから(笑)、そういう意味では結局、自分でやるのが一番早いのかもしれませんね。
会期:2024年8月30日(金)〜2024年10月14日(月)
場所:art cruise gallery by Baycrew’s
東京都港区虎ノ門2-6-3
虎ノ門ヒルズ ステーションタワ ー3F SELECT by BAYCREW’S 内