“ 横顔と革ジャンと嘘 ”
庄司信也が、自身の原体験と現在を結ぶ革ジャンの記憶を綴る。音楽とファッションを横断してきた視点から、“装うこと”の意味をあらためて見つめ直す一篇。
旧知の仲である編集者の方から連絡を頂き、
虎ノ門ヒルズのセレクトショップを見に行かないかというお誘いを受けた。
「ぬ?アチキが!?」などと思ったのだが、聞けば最大規模のセレクトショップが有るという。
俄然、興味が立体になる。
<SELECT by BAYCREW’S>という名前のセレクトショップ。
BAYCREW’Sという名前は、疎い私でも当然耳にしていた巨大アパレル・カンパニーである。
その会社の名うてのバイヤーさんたちの選りすぐりのモノが集まると云う。
そこにはフロアー全体に製品が犇めいており、信じられない位の物量であった。
しかしながら不思議なことに、押し付けがましい情報はひとつもない。
それらは世界中から集められてきた愛情と云っていいほどの丁寧さで溢れているからであろう。
ご対応頂いたスタッフさんからの案内を受けながら、様々な被服を眺める。
そこで特に目に入ってくるアイテムがあった….。
<A LEATHER>の革ジャンである。
私はファッションとは程遠い、東北の田舎町で育った、朴訥としたサッカー少年であった。
一人っ子だった私は、無口なビール好きの父(酔うとおしゃべりになる)と、陽キャラで繊細、かつ思いやりのある母との3人暮らしであった。
なんの変哲もない核家族で育ったのだが、雷は出会い頭のように唐突に落ちるものでして..。
当時の世俗の流れで云えば、バブル期。
此の頃に巻き起こったのがバンドブーム。
数多のインディーシーンで活動するロックバンドを紹介し、勝ち抜きで審査をしていくテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(略してイカ天)が放送されていた90年の何月か頃。
多分に漏れず、私も熱心にVHSに録画し視聴していた。
その番組が齎した流れに呼応するかの如く、宝島社より『BANDやろうぜ!』誌が自身の目につくようになった。
本屋でパラパラと立ち読みをしていると、ショッキングなグラビアが私の目をぶち抜いた。
其れは、イギリスのパンクロック音楽の旗手、<SEX PISTOLS>のベーシスト、シド・ヴィシャスが血塗れで演奏している、モノクロ写真であった。
何故、演奏しているだけなのに血塗れなのか。
襲われて、なのか、自傷で、の出血なのか。
純朴な田舎の子供には刺激が強い写真であった。
きっと、似たようなカルチャーショックとの出会いを経験している方も多いのでは無いだろうか。
その出会い頭から、興味や遊びの先がファミコンソフトから音楽へとシフトし始めた。
当然、見た目 / 装いも変わっていった。
それまではサッカー部よろしくの白地のTシャツに胸部にワンポイントで<PUMA>や<adidas>の刺繍入りのものとジャージがワードローブだった少年が、どうにかこうにか山形市内の古着屋さんで見つけた、ジェイミー・リードが手掛けた、<SEX PISTOLS>の1stアルバムデザインが全面に施された黄色いTシャツを手に入れることができた。
しかし堂々とは着れず、親の前ではスポーツウェア、街に出かけるときは最寄りの無人駅でPISTOLSのシャツに着替えるのである。
多感期のイモ少年に「SEX」の三文字はあまりに強烈ワード過ぎて、親の目を盗んではコソコソと纏っていたのである。
普段は品行方正なタイプであったが故に、親を裏切っているような、些かの罪悪感はあったのだ。
端的に言うなれば、正義ではなく悪徳に身を染めたかのような、そんな気持ちだった。
月日は流れ、高校生になると更に踏み込んだ趣味として、CDではなくレコードへとフィジカルの重きを変え収集し始めてた。
いわゆる当時、カルトなパンクバンドになると(要は売れていないと)シングルのみのリリースだけで、LPや後のCDのリリースまで漕ぎ着けず終いのバンドの音源も聴きたいからである。
当然、売れているのがいい音楽、売れていないのが劣った音楽ではないことは此の頃から解っていた。
今と比べると情報にまだまだ飢えていた90年代半ば。
なんとか現場と文献を頼りに、音楽を筆頭に映画、漫画、あらゆる下位文化的アプローチを図っていた。
そんな暮らしぶり、趣味趣向の中で目につくのが<ラモーンズ>よろしく革ジャンであった。
悪や反抗のムードを感じた。
初めて手にしたのは1995年の高校2年生のとき。
ショットのダブルのライダースジャケット、中古品であった。
知り合いの方から15000円くらいで安く購入させて頂いた。
60年代のものだったと思う。
正直、今より20キロほど痩せていたのでそれなりに似合っていた気がする。
髪型はモヒカン刈り、他の衣類は<セディショナリーズ>、<ロボット>のラバーソールという出で立ちであった・・
…そんな少年期を経て東京へ出てきて、地元では考えられないような様々な刺激や情報を経て、いつの間にか大人と呼ばれる年頃になっていた。
専門学校に進学し、流れに身を任せていたらファッション屋さんの端くれとして身を置いていた。
そこから音楽屋へと転身し、今に至るインチキ臭い生業でお茶を濁しているのである。
そうともなってくると逆に、些かロック性を帯びる風体であることに気恥ずかしく、何某を象徴する革製品を好んで着ることはなくなっていた。
なにしろこの身に対して、重いのである。
むしろ、化繊製品で音楽を纏っているほうがパンクなのではないか、という考えも湧き出てきた。
そう、誰かの真似をして革製品を纏い反逆の化身にならなくても、素のままの自分で在ることのほうが価値があるのではないかと悟ったのだ。
ロック性、要素除外期である。
と、そんなふうに暮らしていたのだが、或る変化が芽生えてきた。
四十も半ば過ぎて、また革ジャンが気になりだしたのだ。
なにがパンクでどれがロックなのかとかは、最早どうでもよくなっていたのである。
これも逆に加齢の成せる技か。
手元にあるのは父親からのお下がりのボロボロになったペラい<adidas>のレザージャケットのみだったので、いい大人でも恥ずかしくないようなものを、と思い、昨年末に<ラルフローレン>の茶色いレザージャケットを購入した。(しかしあまりの寒さに出番は少ない。)
そんな再燃の中、訪れたのが<SELECT by BAYCREW’S>である。
現在日本の気温は殆ど2極化してると云って良い。
今や、春や秋は瞬きのような速さで駆け抜けていく。
四季ではなくほぼ二季である。
しかしこの刹那だけに活かそうと思うのが革ジャンであると考える。
少年時代に憧れ背伸びした粗暴なる事柄は、大人になった今で云う贅沢であった、と定義したい。
私も来る春の日のために、近いうちにこの虎ノ門を再訪することになるであろう。






