自由をかたちにするということ。ピーター・シャイアが語る、色と衝動、そしてアートの役割。
〈エコーパーク・ポタリー〉のマグを手がけるアーティスト、ピーター・シャイア。メンフィス・グループの創設メンバーとしても知られる彼は、いまもロサンゼルスで制作を続けている。スタジオでの時間や制作の背景について、話を聞いた。
ロサンゼルスのエコーパーク。ピーター・シャイアはこの街で生まれ、育ち、そして今も同じ場所にアトリエを構えている。
1980年代には、デザイン集団「メンフィス・グループ」の創設メンバーとして活動し、鮮烈な色彩と自由な造形で時代を揺さぶった存在だ。しかしそのキャリアの根底にあるのは、もっと素朴で身体的な制作の感覚である。
現在も彼は週に60〜70時間をスタジオで過ごし、空間を歩き回りながら手を動かし続けているという。そこには、デザインという言葉だけでは収まりきらない、自由で軽やかな創作の姿勢がある。

Q. ものづくりを始めたきっかけや、影響を受けた環境について教えてください。
A.特別なきっかけがあったわけではなく、最初からそれしかなかった、という感覚です。僕は1947年生まれで、いわゆる戦後すぐの世代なんですが、子どもの頃から自分は“アートをやる側の人間”だと感じていました。父は美術教育を受けたあと、大工として働くようになりましたが、生涯にわたって絵を描き続けていた人でもあります。大恐慌の時代を背景に、労働運動にも関わっていて、ポスターや出版物の制作を通じて表現をしていた。アートは特別なものというより、社会や生活と地続きのものとして身近にありました。母も芸術に理解があり、家庭の中で創作は自然なものとして存在していました。
高校時代の美術教師も大きな存在です。今振り返ると、父や先生ができなかったことを、自分が引き継いでいるような感覚もあります。
Q. ロサンゼルスという街は、あなたの感覚にどんな影響を与えていますか?
A.生まれ育ったこの場所を拠点に、作り続けてきたという感覚があります。色彩感覚も、この場所で育つ中で自然と培われたものだと思います。昔、近所に強烈な配色の家があって、最初は「ひどい」と思っていた。でも毎日見ているうちに、「面白い」「いい」と感じるようになった。自分の中の“良し悪し”が揺らいだ瞬間でした。その頃から、強いコントラストの色を常に求めるようになったんです。そういう刺激がないと落ち着かないような感覚ですね。

Q. 色はどのように決めているのでしょうか?
A.意図的に決めているというより、繰り返す中で見えてくるものです。オレンジと青、赤と緑のようなコントラストの強い組み合わせを何度も試していくうちに、「これが自分のやり方だ」と分かってくる。実際に使っている色の数自体はそれほど多くなくて、限られた色の中で組み合わせや見え方が変わっていく感覚に近いですね。
Q. 陶芸、家具、彫刻と幅広い表現をされていますが、共通点はありますか?
A.素材によってできることは違います。たとえば陶芸ではできない形も、金属なら作れる。まず前提として、素材がそうさせる部分があるんです。その一方で、どんな素材を扱っていても、最終的には“手”が出る。長く作り続ける中で、身体が覚えている動きや癖のようなものがあって、それが自然と形に現れるんです。だからスタイルを意識しているというより、素材と手、その両方が重なった結果として、作品ができている感覚に近いですね。

Q. 手仕事へのこだわりについて教えてください。
A.今は誰でもある程度のものを作れる時代ですが、だからこそ手で作る意味があると思っています。ドリップの跡や塗装のストロークのように、どこかに「人の手の動き」が感じられることが大事なんです。それと同時に、工程をどれだけ身体で理解しているかも大きい。昔は焼成や素材の変化を自分の感覚で掴んでいたけれど、今はそれを知らなくても作れてしまう。もちろん、そうした昔ながらのやり方には少しロマンチックな側面もあると思います。ただ、その感覚を知っているかどうかは、やっぱりどこかに表れる。その違いは残るんじゃないかと思っています。
Q. エコーパーク・ポタリーについて教えてください。
A.エコーパーク・ポタリーは、一点ものの陶芸とも、完全な工業製品とも違う考え方でやっているプロジェクトです。昔のアメリカにあったような、複数の職人が関わりながら作る工房的な生産に近い。自分一人で作るというより、チームで関わりながら作っていく。その中で、ある程度の再現性は持ちながらも、完全に均一にはならない。そのバランスが面白いと思っています。

Q. プロダクトとアートの違いはどのように考えていますか?
A.ものによりますね。カップのようなものは基本的に機能的なものですし、ちゃんと使えることが前提になる。でもティーポットになると、もう少し想像力や感情の領域に近いものになる。もちろん、注ぎやすさや水の流れといった機能は理解したうえで作っています。ただ、それをそのまま守るというより、どこかで少しズラしたり、遊びを入れたりする。ティーポットはある意味で、感情的な表現なんです。機能だけでは説明できない部分がある。だから「使えるのか」とよく聞かれるんですが、「買えるならね」と答えています。
Q. メンフィス時代について、そしてエットレ・ソットサスから受けた影響について教えてください。
A.当時は特別なことをしているという意識はなかった。ただやっていただけです。でも後から振り返ると、それがデザイン史の一部になっていた。気づいたらその中にいた、という感じですね。メンフィスについては、「再評価」というより、ずっと続いているものだと思っています。ある意味で自由の象徴なんです。だから時代に関係なく、人はそこに惹かれる。ソットサスのことは本当に尊敬していましたし、カリスマ的な存在でもありました。彼の言うことにはいつも耳を傾けていたし、影響も大きいです。とても鋭い人で、物事の本質を瞬時に見抜く力があった。ほんの一言や線の引き方で全体を変えてしまうような人でした。その一方で、ユーモアもあれば、少し気性の激しいところもあって、そのバランスも含めてとても印象的でした。

Q. 「良いデザイン」とは何だと思いますか?
A.難しい質問ですね。まず、「デザインとは何か」から考えないといけないと思っています。一般的にデザインというのは、同じものを工業的に作るための仕組みなんです。つまり、誰が作っても同じ形になるように設計すること。もともとはそういう意味合いが強い。ただ、その一方で「良いデザイン」や「良いセンス」という言葉は、社会的な記号のようにもなっている。これが“良いものだ”とされることで、自分のセンスやスタンスを示すものにもなりがちです。だから僕は、その考え方を少しからかっているんです。本来は機械のためのものだったはずのデザインに、あえてズレや遊びを入れる。そのほうが面白いと思っています。
Q. あなたの作品にあるユーモアや遊び心について教えてください。
A.楽しいほうがいいじゃないですか。僕は気分が良くなることが好きなんです。何かを作っていると自然と気分が良くなるし、怒っていたこともいつの間にかどこかに行ってしまう。ユーモアというのは、自分にとってすごく大事なものです。笑うか、泣くか、どちらかしかないなら、笑うしかない、という感覚に近い。作品というのは、言葉で説明できないことを伝えるものだと思っています。だから、見た人が少しでも気分が良くなったり、何かを感じてくれたら、それでいい。

Q. 日本のファンに届けたいことは?
A.日本の人たちは、本物を見抜く感覚を持っていると思います。カルチャーに対する理解も深いし、自分たちなりの受け取り方をする。同時に、自分の作品を見てくれている人たちは、少しエキセントリックというか、いい意味でちょっと変わった感覚を持っている人たちだとも感じています。その中で、自分の作品を通して、ある種の“アメリカの理想”のようなものを感じてもらえたら嬉しいですね。それは単なる国のイメージではなくて、もう少しパーソナルで、少し風変わりなカルチャーのことなんです。
THE STAND FOOL SO GOOD(S)で、ピーター・シャイアを日常に。






